12通目


こんにちは。お元気ですか?どんな毎日をお過ごしでしょうか。

夏ですね!からからに晴れた青い空を眺めて、「暑いなあ~」と思いながらも、「夏だ♪」とわくわく。私と娘は夏生まれなので、なおさら、わくわくしてしまうのかもしれません。

6月からキャリアカウンセリングを学び始めました。その中で、心に飛び込んできたことがあります。表現された言葉や態度には、本心と異なっているものもあるということ。言葉や態度の奥には、その時の感情や状況、環境、価値観、経験など、いろんなものが積み重なり、絡まり合っているので、表面だけを見ていても気づけないことがあるんですよね。

言葉や態度をそのまま受け止めるのではなくて、「どうして、そうしたのか」と「どうして?」と紐解いていくことが大切なんだと思いました。「嫌だったなあ」という出来事も、その奥にあるものに気づくと、「あの時はそうせざるを得なかったんだろうなあ」「仕方がなかったのかも」と想え、やさしい気持ちになれるかもしれません。

というのも、そんなことがあったんです!

私は小学4年生の頃に、母を亡くしました。母から「あんたがいなかったら」と言われたことや、理不尽なことが起きた時も「あんたが悪いからや」と責められるだけだったことなど、嫌なことばかりを思い出して、のみ込まれてしまい、「母から愛されなかったのではないか」と思うようになっていました。高校生の頃には生きることが辛くなったほどです。

そんな私が母親になった今。自分がされて嫌だったことを娘にしてしまい、はっとしました。そして、気づいたんです。娘が嫌いでやるのではなく、私自身が、子育て以外でイライラしていたり、不安なことを抱えていたりで、八つ当たり的に、些細なことで叱ってしまうことがある・・・と。母も、そうだったのではないかと思ったんです。

同時に、楽しい思い出もたくさんあるのに、どうして嫌なことばかり思い出していたのか、その理由もわかりました。周囲から「かわいそうね」「お母さんが生きていたら、よかったのにね」と言われるたび、気にしてもらえることはありがたかったのですが、「お母さんがいないと、不幸」とも言われているような気がして、辛かったんです。だから、自分を守るために「お母さんが生きていたって・・・」と、嫌なことをあえて思い出していたんだと思いました。

「こうだったのかなあ」と想像することで、「あんなことをされて!!」とネガティブな気持ちを抱いていた出来事も、「そうしてしまったのも、仕方がなかったかもしれない」と思えるようになることも。同時に「そう受け止めてしまった自分」についても、「どうして、そう受け止めてしまったのか」と紐解いていくと、さらに見えてくるものがあります。

世界の見え方も、捉え方も、自分次第。できるだけ、やさしいまなざしを持って生きていきたいと思っています。言葉や態度、物事の表面だけではなく、その奥を想像してみることによって、変わるものがありますよね、きっと。

そんなことを考えていました。最近、どんなことを考えていますか?

小森利絵より

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