18通目


こんにちは。お元気ですか?
どんな毎日をお過ごしでしょうか。

わたしも、娘も、元気にしています。

『えんを描く』をつくり始めて、昨年で5年が経ちました。お声かけいただいて、フリーペーパーづくりについてお話したり、ワークショップを開催したりする機会も。そんななかで、「どうして、フリーペーパーに魅かれるんだろう?」「つくり続けるんだろう?」と改めて考えてみて思ったのは、“わたし視点”がおもしろい!…です。フリーペーパーをつくり始めたきっかけも、市販されている雑誌にはない“わたし視点”がおもしろい1冊のフリーペーパーと出会ったから。

“マニアックで、おもしろい視点を持っている特別な人が発信”ではなくて、誰もが、誰かにとって、おもしろい視点を持っていると思うんです。

だって、人それぞれ違うから。同じ人なんていないから。

“今”という瞬間でつながりながらも、人それぞれ、特性や感性があり、さまざまな時間や環境、状況のなかで生きていて、いろんなことを感じ思い考えています。だからこそ、同じ風景を見ても、同じ状況に遭遇しても、どう捉えるかは異なってきます。自分には思いつかなかったことが、ある人には思いつく。ある人には思いつかなかったことが、自分には思いつく。それって、おもしろいなあと思いました。

たとえば、私はお好み焼きが嫌い…でした。お好み焼き嫌いの人のなかには「粉もんが苦手」「食感が…」「もんじゃのほうが好き!」などあると思います。わたしの場合は、小学生の頃に母親から「お好み焼きを食べないと、中学生になったら友だちができないよ!」と無理やりたくさん食べさせられて、おなかをこわした思い出がよみがえるんです。だから、しょんぼりした気持ちになります。「お好み焼きが嫌い」という一つをとっても、人それぞれ、さまざま。掘り下げてみると、「そんなこと考えもしなかったわ!」なことが、続々と。

“わたし視点”というのは、今の自分が感じたり思ったり考えたりしていること、です。だから、そのまんまでいいんですが…

なかには「そう思わされている」「そう思い込んでいる」こともあると思います。「世間でこう言われている」「まわりの人たちもそう言っている」「常識的に」など。それらを自分のなかに取り入れるうち、いつのまにか「“世間”や“まわりの人たち”が言っていること=自分がそう思っていること」と錯覚してしまうこともあるような気がするんです。それがしっくりきていたらいいのですが、わたしの場合、たまに「ちょっと、しんどいなあ」「なんか、ココロにひっかかるな」と思う時があります。その時、「何がしんどいのかな?」「どうして、ココロにひっかかるのかな?」と考えてみると、“「実は…」なわたし”が見えてくることがあるんです。

そんな自分の気持ちに気づくと、最初は「こんなことを思ってもいいのかな」とドキドキしちゃうこともありますが…“わたし視点”を取り戻すと、物事や世界の捉え方も変わってくるような。自分事として捉え直すことができるような。何より、ココロがすこやかになります。

それに、ほかの人にもやさしくなれる気がしています。こんな自分がいる。あんな人も、そんな人もいる。「あの人はどうだろう?」「どうして、そう思うのだろう?」と興味を持って、出会いつながり交流できるのでは、と。

そんなことを考えていました、最近。
あなたはどんなことを考えていますか?




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フリーペーパー『えんを描く』って?
日々、さまざまなニュースを見ながら、つらくなったりかなしくなったり。なんで、こんなことが起こるんだろうと思うことがあります。この現実を変えるほどのことはできないけれど、たとえば「近所の人にあいさつをする」「エレベーターで乗り合わせた人と天気の話をする」「最近、連絡をとっていないともだちにメールしてみる」など日常のささやかなことからつながっていくものがあるのではないかと思いました。

近所の人にあいさつを続けていたら、おじいさんから「あんたがあいさつをしてくれるだけで嬉しいわ」とお寿司をおすそわけしてもらったり、おばあさんから「家の電灯をかえられへんから手伝ってくれへん?」と頼まれたり。私もそう、おなかに娘がいる時に道でばったり出会った知らないおばちゃんから声をかけられて励まされたことがありました。

一人ひとりが目の前にいる人にそうしていったら、世界はどうなるでしょう。そんなことを考えながら、小学4年生の娘とつくっています。


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